四字熟語。



 それは関東大会初戦敗退後の昼休みのできごと。
 部長引退を目前に控えた跡部に「反省会やるぞ」と声を掛けられ、主要メンバーが粛々と部室に集まった。反省会という言葉の響きのせいだろうか、向日さえもいつもよりずっと大人しく、心なしかしおらしく、部室の隅の椅子で片膝を抱えている。
「全員集まったか?あーん?」
 跡部がぱちりと指を鳴らせば、そっと立ち上がった樺地が部室の扉を閉める。
 しん、と静まりかえる狭い部屋。
 公式戦無敗の鳳が、肩を落とし小さくなって、まるで自分が戦犯であるかのように反省しまくっているのを見て、宍戸は少し切ない気分になってきた。

「さて、氷帝テニス部反省会を始める。誰か、反省しろ。」
 跡部の反省会開会の辞。
 突っ込みは辛うじて堪えたものの、宍戸はうっかり椅子から落ちかけた。
 お前は反省する気なしか!跡部!

 しかし、跡部は宍戸の動揺に気付く様子もなく。
「……そうだな。まずは忍足。お前が反省しろ。」
「反省……ねぇ。まぁ、個人的にはいろいろあるけど……。」
 忍足はあごに手をあてて、ゆっくりと視線を廻らせた。

 確かに自分の練習や試合に関する反省点はいくらもある。
 あのとき、橘戦を落とさなければ……。あのとき、もっとフォーメーションの確認を徹底しておけば……。あのとき、もっと早く長太郎のフォローに入ってやれば……。
 だが、それらは宍戸個人の反省点であって、氷帝テニス部の反省点ではない。それはきっと忍足も同じこと。
 宍戸はしょんぼりしている日吉に目をやった。あの自信家の日吉があんなにしょんぼりするとはな。

「……跡部、そういうお前はどうなん?」
 忍足の言葉に、跡部はかっと刮目して言った。
「俺は過去を振り返らない主義だ。」

 一瞬。
 部室を静寂が支配する。

「奇遇やな。実は俺もそうなんや。」
 沈黙を破ったのは忍足。芥川がはい!と挙手をして。
「俺も!俺も!いろいろ考えると寝ちゃうから、考えない方がE!」
 向日も賛同した。
「もっと前向きに飛んでみそ!」

 宍戸は。
 なんかそれで良いのか??
 といささか不安に感じたが。
 鳳や日吉の反省ぶりを見ていると、哀れになってきたので、反省会などとっとと終わりにした方が良いことには賛成だった。
 宍戸は知っている。鳳の手元にあるレポート用紙には、鳳自身の反省点が50項目以上書かれているということを。また、日吉の手元にある半紙には、応援団の反省点が50項目以上書かれているということを。日吉もまぁよくも応援団の反省点ばかり50項目も考えついたものだ。宍戸は素直に感心していた。

「分かった。反省点をまとめる。」
 一同を見渡して唐突に反省会らしいコトを言い出す跡部。
 まとめるも何も……まだ何も意見出てねぇだろ、と突っ込みかけた宍戸に気付かずに、跡部は低い声で言い放つ。

「反省点は、お前ら相手に反省会を開いたコトだ。」

 全くだ、と宍戸もその点に関しては素直に賛成することにした。

「まー折角集まったんだし、今後の目標でも考えるー?」
 今まで黙っていた滝が、にこにこと口を挟む。
 確かに今後の目標だったら、「未来志向」の跡部たちにも考える余地があるだろうし、今年の反省の代わりにもなるかな。
「目標!面白そう!!」
 向日が椅子の上で飛び跳ねた。
「日吉、お前は書道が得意だったな?あーん?」
 部室の壁をぐるりと見回してから、跡部が尋ねる。
「……はい!」
 突然、話を振られて、きょとんとする日吉。しかしすぐに姿勢を正して、きぃぃぃぃん!と「食べ放題にチャレンジするクラゲ」の構えをとった。
「なら、決定した目標を清書して壁に貼れ。いいな。」
「はい!」
 跡部も目標を考えることには乗り気らしい。宍戸はひとまず安堵し、何に安堵して居るんだ自分は!と少しだけ切ない気分を味わった。

「かっこEコト書こうね!」
 元気いっぱいの芥川がはしゃぐのを、にこにこと見守りながら。
「四字熟語とか、どうや?」
 忍足が提案した。清書担当の日吉が目を輝かせる。確かに日吉の骨太な文字は、四字熟語みたいながっしりした字面を書くのに相応しいかもしれない。
「ふーん。四字熟語なわけね。」
 跡部もまんざらではない様子で。これなら実りある「反省会」になりそうだな、と宍戸は椅子の背にもたれて伸びをしながら考えた。

 しかし。
 世の中、そう上手くはいかないものらしく。
「『氷帝学園』か『榊太郎様』がいいと思います!!」
 芥川が挙手して叫べば。
「ジロ……固有名詞は四字熟語にならないんだよー?」
 滝が笑いを堪えて突っ込みを入れ。

「そうだぞ!ジロ!『現実逃避』とか『無銭飲食』とかにしろよ!」
「そっか!向日、頭E!だったら、『泥沼不倫』とか『因数分解』とかどう?!」

 宍戸は気付いた。
 隣りに座る鳳の目にうっすらと涙が浮かんでいることに。
 きっとこいつ、今、脳内部室に「泥沼不倫」とか書いた半紙貼ってみたんだろうな。
 まぁ……涙ぐむ気持ちも分からないでもない。少なくとも、部室の壁に「無銭飲食」とか書いてあったら、新入部員はむちゃくちゃ動揺するに違いないしな。
 そこで。
「四字熟語ってのは、四文字の漢字で特別な意味になるヤツだろ。先週、国語の授業で習っただろうが!」
 一応、宍戸は常識的な突っ込みを入れてやることにした。

「なるほど!!宍戸、頭良いな!!」
 向日に真っ直ぐな眼差しで褒められて、宍戸は少しだけどきどきする。
 ってか、先週授業で習っただろと指摘しただけで、頭良いという扱いになるのはどうしたものか……。

「要するにだ。『我田引水』とか『盛者必衰』とかが四字熟語なわけだ。分かるか?あーん?」
 跡部の言葉に、忍足がずり落ちた眼鏡をぐいっと上げる。
 宍戸はそっと鳳のレポート用紙を取り上げた。

「思い出した!『悪戦苦闘』とか『右往左往』とかだね!」
「俺も思い出した〜!!『支離滅裂』とか『酒池肉林』とか!!」

 向日も芥川も、しっかりと四字熟語を記憶している。
 なんだ、きちんと授業を聞いていたんじゃないか。こいつら。
 しかも、目標として使えねぇヤツばっかり。
 などと、密かに思いつつ、宍戸は取り上げたレポート用紙に「一球入塊とか、いい言葉だよな。」と書いて、鳳に押しつけた。

「そうそう。そういうのが四字熟語ー。」
 滝がおっとりと肯定し。
「でもねー、もう少し縁起が良くて明るい感じの前向きな四字熟語の方が良くないかなー?」
「そやな。目標にするんやしな。」
 滝の提案に忍足が頷く。
 ってか、お前らが四字熟語を提案すれば、話がサクサク片づくんじゃないのか?!と思わないでもなかったが、滝や忍足は絶対この展開を楽しんでいるよなぁ、と分かっていたので、宍戸もあえて突っ込むのはやめにした。
 鳳がじっと宍戸のメモを見つめ、また涙ぐんでいる。

「縁起が良い言葉!分かった!!『謹賀新年』だ!!」
 芥川が目をきらきらさせる。向日も負けずに。
「明るいって言ったら、断然、『豪華絢爛』とかだろ!!」
 と、断言した。
「前向きといえば『八方美人』だな。なぁ、樺地?」
 跡部の言葉に、一瞬ためらって。
「……うす。」
 それでも樺地は同意した。

 宍戸は一年中「謹賀新年」と貼ってある部室と、「右往左往」と貼ってある部室、どっちが良いかなぁと一瞬想像して、退部届ってどう書くんだっけ?と思考が逸脱した自分を愛おしく感じた。
 そのとき、鳳から宍戸へ、レポート用紙が戻ってくる。
 そこには。
「×塊 → ○魂 かたまりを入れないでください。生意気言ってすみません。」
 と、震える文字が並んでいて。
「悪ぃ。」
 小さく謝りながら、宍戸は「一度サーブを打つごとに、ボールに塊を入れていたら大変だよなぁ。っていうか何の塊入れるつもりだ?」と素直に反省し、「一球入魂とか一生けん命とか、俺は激いい言葉だと思う」と書き直した。それを見た鳳は何度も頷いて、やっとにっこり笑う。
 そこへ。
 昼休みの終わりを告げる予鈴チャイムが鳴った。
 がたりと椅子を引いて、跡部が立ち上がる。
「……日吉。今の話し合い聞いて、お前が一番良いと思った目標を書いておけ。」
「次期部長、頑張れー。」
 跡部のご無体な要求を、滝が後押しし、日吉は困惑した様子もなく、きぃぃぃぃんと「潔く引き受けるマヨネーズ」の構えで快諾した。


 翌朝。
 部室の壁には、墨跡鮮やかなる堂々たる日吉の書が掲げられた。
 厳然と並ぶ四文字は以下の通り。

「四字熟語」

 凛とした「目標」を見上げながら、滝と忍足が。
「『全国制覇』とか書かないところが奥ゆかしくてええなぁ。」
「やるねー。『一致団結』とか『切磋琢磨』みたいなありきたりの目標じゃないわけだー。」
 などと、ご機嫌で語り合っているのを聞きつつ。

 まぁ。
 「酒池肉林」とか「支離滅裂」とか書かれているよりはましかな。
 と。
 宍戸はちょっとだけ考えながら。
「それぞれ自分の好きな四字熟語を目標にしろってコトですね……?」
 懸命に前向きに物事を捉えようとする鳳に、深く頷いてやったのであった。 






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