獅子奮迅。
「交換日記?!」
素っ頓狂な声を上げたのは神尾だった。だが、周囲の連中も、多かれ少なかれ、神尾に同調する様子で森を見守っている。
「女子じゃねぇんだからさ。んなモノ、やらないだろ。普通。」
たたみかけるような桜井の言葉に、頷く内村。
「男子の部活で交換日記はオカシイっての。」
伊武など、もうその会話に興味を失ったらしく、余所を見ている。そんな不動峰中学の金曜日の昼休み。教室中に満ちるクラスメイトのざわめき。
みなの反対を予想していたのだろう。森はめげる様子もなく言葉を継いだ。
「確かに俺たち中二はお互いのこと良く分かっているけどさ。でも、考えてよ。橘さんと俺たちは出逢ってまだ一年くらいだし、一緒に居る時間は長いけど、学年違うし、お互い、ほとんどテニスについてしか知らないじゃない。だから俺、考えたんだよ。もっと橘さんのこと分かりたいし、橘さんに俺たちのことを分かって欲しいし。」
おそらくは全部準備してきた台詞なのだろう。森にしてはずいぶんと長い言葉を立て板に水にまくし立て、ふと黙った。伊武が振り返る。「ってことは、何?橘さんも誘うわけ?」
「もちろん!実は今朝、橘さんにはお願いしておいたんだ。」
「……やってくれるって?」
「うん!」
「じゃあ、やる。」
現金に即決する伊武に、石田は桜井を見、神尾は内村を振り返って。
橘さんとやる交換日記だったら、まぁ、いいか。と。
とりあえず、その話に乗ることにした。「部員は七人だから、一人一日で、一週間一回りね。」
にっこり笑う森。
「どういう順番でやるんだ?」
石田が六人の顔を見回して尋ねれば。
「あいうえお順で良いんじゃねぇのか?石田、お前からな。」
土日の間に部費でノートを買って、月曜日に石田から交換日記がスタートするコトになった。総勢七名の大がかりな交換日記である。
提案者の森は、全員の顔を見回して満足そうに笑った。
月曜の昼休み。
「俺、交換日記とか初めてだから。」
そう言って照れくさそうに、石田は伊武にノートを手渡した。
橘さんへ
一番最初だと思うときんちょうしますけどアイウエオ順がいいって桜井が言ったので俺から書くことになったんですけど俺のことを書けと言われても俺べつにヒミツとかないし何を書いたらいいのか分からなくて困って桜井に聞いたら「何でお前ハゲなのか書け」って言われて俺ハゲじゃなくて頭そってるだけなんですけどハゲって言われるのはイヤだなーと思いますけどおじいちゃんになったときに本当にハゲても今からハゲてたら困らないからいいんじゃないかって桜井が言うのでそれもそうだなーって思いました
石田鉄
そして、火曜の朝。
伊武は無言のまま、内村の鞄にノートを押し込む。
「何だ?それ。」
「交換日記。」
伊武はそれ以上何も言わずに、さっさと朝練のために着替え始めた。
橘さん江
暑い日が続きますが如何お過ごしでしょうか。俺は死なない程度に生きています。そんな日には漬け物が良いと思います。何故かと言うと漬け物は生気に満ちている訳でも無く、しんなりぐったりしている癖に、死んでもいないからです。要するに曖昧模糊です。だから、俺は漬け物を食べると、死なない程度に生きるのが如何に素晴らしいかを理解します。橘さんも漬け物を食べて下さい。今の季節は古漬けにした糠漬けのキュウリが一番です。しんなりしていて、少し塩辛くて、ヤバそうでヤバくないと見せかけて、やっぱりそこはかとなくヤバい予感を漂わせているすえたキュウリは、現代社会の抱える心の闇を俺たちに垣間見せてくれます。体に気を付けてお過ごし下さい。
伊武深司
水曜日の放課後には、神尾が内村からノートを受け取った。
「結構、交換日記って面白いのな。」
内村が照れたように言うので、神尾もなんだかとてもわくわくしてきた。中を覗けば、内村が何度も何度も消しゴムで消して書き直したらしき、苦労の跡の残る日記が綴られており。
たちばなさんえ
アスパラだからです。ゆでるとやわらかくなるのに、ゆでないとかたい。みどりいろ。ほそながい。でもキュウリじゃない。ぜんぶアスパラです。
内村京介
内村の日記を読んで、神尾は思った。これなら俺もいける!と。
そして、翌朝、いたく機嫌良く、神尾は桜井にノートを回した。
「順調だな。ちゃんと一日一人回ってるし。」
桜井は少し驚いたように笑った。
たちばなさん
今日、先生(英語の)にリズムとハイのスペルを習いました。Rhythmは、ぶっちゃけ読めません。ていうか、英単語としてのやる気を感じさせません。もっとリズムはリズムらしいスペルがいいと思います。HighはRhythmよりはましですが、ghが嫌いです。読めないからです。いらないと思います。Highはすごいときには、High Higher Highestになるそうです。びっくりしました。俺の予想だと、Rhythmは、Rhythm Rhythmer Rhythmestになるはずです。俺はさいこうのRhythmestをめざします。たちばなさんの「うらぁ!」は、Urerだと思います。Ur Urer Urestです。たちばなさんはきっとすぐに、Urestになれると思います。すごいなあと思いました。
神尾アキラ
桜井は少し困惑した様子で、金曜日の内に森にノートを手渡した。金曜日の昼休みに桜井が日記を書けば、土曜日に森から橘さんに回せる。日曜日に橘さんに書いてもらって、月曜に石田に戻るようにすれば、橘さんに負担をかけることなく、一週間で回しきる。そういう算段であった。
「みんな書けてる?」
にこにこと尋ねる森に、桜井は一瞬フリーズしてから。
「……自分の目で確認してくれ。」
とだけ答えた。
「橘さんへ」って書き始めるの、何かおかしいと思うんですけど(これ、部員全員の交換日記だし。「先生あのね」じゃないんだぞ → 中二へ。あと、内村。「たちばなさんえ」じゃなくて「たちばなさんへ」)とにかく俺のこと書きますね。この前、げた箱の中に、かわいいふうとうが入っていて、女子の字で「橘さんに渡してください」っていうメモが付いていて、橘さんへのラブレターだと思ったら、杏ちゃんあてのファンレターでした。女テニの一年生みたいです。杏ちゃんって後輩の女子にもてるみたいです。でも、俺じゃなくて、女テニの二年生のげた箱に入れればいいのに。橘さんもラブレターとかってもらいますか?いっぱいもらっていそうですね。ちょっとうらやましいです。
桜井雅也
にこにこしながら、森は全員の日記を読んだ。桜井が面食らうのも仕方ないけど、まぁ、これはこれで良いんじゃないかな。と、彼は彼一流の大らかさで自分の日記を書き始める。
書き始めるときは、「橘さんへ」とかでも良いと思います。中二同士で自分のことを紹介してもしかたないし、みんな橘さんに自分のことを伝えれば良いと思います。杏ちゃんへのファンレターは女テニの中二の子のげた箱に入れなくても、杏ちゃんのげた箱に入れればいいんじゃないのでしょうか?はずかしかったのかな。石田の選んだノートはとても使いやすいです。橘さんはどういうノートが好きですか?再生紙のノートは消しにくいと思いますか?カドケシ、持ってますか?ポケモンだったら何が好きですか?
森辰徳
土曜日の夕方。
部活から帰ってきた兄が、やけに上機嫌であることには気付いていた。ずっとにこにこしている。いや、むしろその表情はにやにやに近いかもしれない。もともと少し強面な桔平だが、今日は本当に形無しといった様子で。
「お兄ちゃん、何かあったの?」
声を掛けても。
「いや。」
ますます笑みを深めるばかり。
しかも、何かを隠している。本……みたいなものを、何度もこっそり開いては、嬉しそうに目を細めている。
「それ、何?」
「……な、何でもない。」
慌てて隠す桔平。隠されれば見たくなるのが人の常というもので。
桔平が風呂に入っている間に、杏は今のソファに置きっぱなしになっていた「それ」を、そっと手に取ってみた。
「男子テニス部……交換日記?」見覚えのある汚い字が並ぶ。一度も句読点を使わずに長い文章を書ききった石田や、漬け物が読んだらさぞや凹みそうな漬け物哲学を披露した伊武、強烈に言いたいことがあるのは分かるんだが何を言いたいのかさっぱり分からない内村、一を聞いて十を知ってしまったらしい神尾、自分のことを書くと言いながら一言も自分のことを書いていない桜井、周りへの気配りと橘への質問だけで自分のことを忘れている森。全くバラバラで、全くまとまりがなくて。でも、団結だったらどこにも負けない不動峰男子テニス部。
杏は兄がどうして今日こんなに幸せそうなのか、分かったような気がした。
我知らず、杏の口元にも幸せな笑みが浮かんでいた。
いいよ。お兄ちゃん。今日は何も見なかったコトにしてあげる。
その代わり、これから大変よ?毎回、全員に同じくらいいっぱいお返事書かなきゃいけないんだから。
頑張れ、部長!
今夜の兄の幸せな苦労を想像して、杏は小さく笑い、そっと交換日記を元あったソファに戻した。
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