ここにいるよ〜氷帝篇。
「おい!ジロー!」
跡部の声が響いた。
部活開始時刻だというのに、まだ来ていないのか。全く、レギュラーとして、最高学年としての自覚がないやつだ。これでは周囲に示しがつかない。
跡部はいらいらと部員たちを見回し。
「ジローのやつ、またどこかで寝てやがるな。樺地!ジローを見つけて、拾って来い。」
「うす。」
振り向きもせずに、いつも自分の背後に立つ少年に指示を出す。樺地もまた、跡部に指示を受けるのが当然であるかのように、のっそりと芥川を捜しに立ち去った。そして。
三分くらい過ぎたころであろうか。
熟睡した芥川を担いだ樺地が、またのっそりとグラウンドに姿を見せる。
「ふぁ……練習……?」
「うす。」
覚醒前の芥川が、それでも何とか目を開き、よろよろと部室に入っていくのを見送って、向日は意味もなく飛び跳ねた。
「樺地ってすげぇよな!侑士!」
「なんや。」
横でストレッチをしていた忍足が振り返る。
「すげぇじゃん!絶対、ジロのコト見つけて、すぐ拾ってくるんだぜ?」
「それもそやな。ジロはどこで寝てるか分からんやつやしな。」
確かに、と忍足は伊達眼鏡の奥で目を細める。樺地はいつでも、跡部に「拾って来い!」と言われると、まっすぐにどこかに出かけていって、芥川を拾ってくる。しかも同じ場所に行くわけではない。屋上の方へ行ったり、体育館に方に向かったり、足を向ける方向は毎回違うのだ。「あーん?何言ってやがる。樺地がすごいのは当たり前だろうが。」
いつの間にそばに来たのか、自信満々の跡部が向日に声を掛け。
「なんで跡部が威張るんだよ!」
さっきまでのはしゃいでいた勢いはどこへやら、向日はちょっとむくれたように言い返す。まぁ、樺地がすごいのは分かるが、跡部に自慢されても困るしな。忍足は内心、素直に向日を応援することにしたが、それを表明することはやめておいた。忍足はオトナであった。だが、忍足の思惑はどうでも良い感じで。
「樺地はジローのやつがどこにいても、必ず居場所が分かるんだよ。あーん?」
跡部は、向日の突っ込みを軽やかにスルーして、また樺地の自慢をした。跡部の背後で樺地が目をぱちぱちさせて、ちょっと困っている。が、「なぁ、樺地?」と相づちを求められずにすんで良かったとも言えるのかもしれない。ぷぅっとむくれていた向日は、しばらく何かを思案していたが、とびきり良いことを閃いたらしく、不敵な笑みを浮かべ、跡部の鼻先に指を突きつける。
「良いか!明日からジロは、今よりもっと人目につかないとこで隠れて昼寝するんだからな!それを見つけて来られるか、勝負だ!跡部!」
「ふん。良いだろう。負けてほえ面かくなよ。向日。」
跡部は突きつけられた指をそのままに、傲岸に見下したような笑みを浮かべて、その勝負を受けて立った。そして。
「……今の勝負の話って……向日さんと跡部さん、全く関係ないですよね?」
物陰で話を聞いてしまった鳳が、宍戸の袖を引っ張って、おろおろと確認し。
「……まぁな。常識的に考えれば、ジローと樺地の勝負だと思うけどな……。」
と、宍戸に同意してもらって、こっそり安堵していたということは、跡部や向日には全く関係ない話であった。
そして。
翌日の部活。
「樺地!ジローのやつを拾って来い!」
「……うす。」
いつも通り跡部の指示を受けた樺地は、昨日の賭のせいか、一瞬困ったように静止したが、それでもまっすぐにどこかに向けて歩き出した。
「ジロは今日はどこで寝ているんや?岳人。」
「俺も知らねぇの。でも、ジロに『絶対、人に見つからないとこで寝ろよ!』って言ったから、きっと頑張って隠れてると思うぜ?」
向日が興奮した様子で、何度もジャンプを繰り返すのを忍足はにこにこと見守りながら。
ジロvs樺地の勝負は、練習開始を遅らせてまでやらねばならんことなのやろうか。
と、うっかり、常識的な心配をしてしまい。
いかん。いかん。ここは氷帝やで。天下の氷帝や。
と思い直したのであった。四分、あるいは五分くらい経ったころであろうか。いつもよりやや遅れて、しかしきちんと樺地は芥川を担いで戻ってきた。
「見たか。向日。あーん?」
「……ちぇ。今日のところは跡部の勝ちってことにしておいてやるよ。だがな、明日は負けねぇんだからな!」
勝ち誇ったように笑う跡部に、心底悔しそうに向日が応じて。
初日の勝負は、跡部の勝ちになった。そして。
「……いったい、何本勝負なんですか……?!」
今まで当事者達でさえ気にしていなかった、大変根本的な疑問にふと気づいてしまった日吉が。
きぃぃぃぃん!といつもの効果音も爽やかに、「ルールを尋ねる片口鰯」の構えを決めているのを。
「日吉ってば、鋭いねー。やるねー。」
と、滝がにこにこと眺めていた、などということは、跡部や向日には全く関係ない話であった。しかし。
二日目、三日目、四日目。
いつまで経っても、向日が勝利する日は訪れなかった。樺地は必ず五分そこそこで芥川を拾って帰ってきた。しかも、向日の指示通り、芥川は毎日場所を変えて、隠れて昼寝をしていたというのに、である。「やっぱ、樺地、すげぇな!!」
「そうだな。さすがは樺地だな!」五日目には、もう、向日も勝負なんかどうでも良くなって、跡部とともに、樺地のすごさを讃えあった。しかも、その日は、芥川も覚醒してしまい。
「俺、毎日、超感激してる!!樺地、超すごE!!」
跡部と向日に加わって、樺地褒めちぎり大会を大いに盛り上げた。「やっぱ、樺地は推理力に優れているんだろうな!純粋無垢にして明晰な頭脳で、ぱぱっとジローのいる場所くらい、お見通しなわけだ!」
自信満々に跡部が言えば、向日は向日で。
「いやいや、樺地はきっと霊感がすごいんだよ!子供のように澄み切った魂で、ジローのいる場所が霊視できちゃうんだよ!!」
と言い返し。
一方。
芥川も、感動しきった調子で。「俺、樺地に、『誰にも見つからないような、いつもよりずっと遠いトコにつれてって。』って頼んでいたのに、樺地ってば、その『誰にも見つからない場所』を見つけちゃうんだから、マジ、マジすげぇよな!」
と。
鼻息も荒く、言いつのった。「ホント、樺地すげぇ!!」
「さすがだな。あーん?」
「超かっこE!」それから、跡部、向日、芥川の三人は、つくづく樺地のすごさを満喫して、満足そうにうなずきあったのであった。
そして。
「……樺地がジロー先輩を隠していたのに……探せないわけないのに……!」
またしても物陰で話を聞いてしまった鳳が、涙目になりながら、宍戸の袖を引っ張り。
「いつもジロをどこかで寝かしつけてたのか。樺地は。……とにかく!あんまりまじめに考えて凹むな。長太郎。」
と、ため息混じりの宍戸に慰めてもらって、ちょっとだけ安心していたことは、跡部や向日には全く関係ない話であったし。「祝!樺地……下克上、達成……!」
先輩に感心されているのは、下克上の証、とばかりに。
きぃぃぃぃん!といつもの効果音も爽やかに、日吉が「友達を讃えるつぶつぶオレンジ」の構えを決めているのを。
「日吉ってば友達思いだねー。やるねー。」
と、滝がにこにこと眺めていた、などということも、やはり、跡部や向日には全く関係ない話であった。
そして。
少し離れたところで、困ったように立ちつくす樺地に。
「練習、行こか。」
忍足がのんびりと声を掛け。
見るともなく空を見上げれば。「集合!」
跡部の凛とした声が響く。
今日も、いつものように、部活が始まる。
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