ここにいるよ〜六角篇。




 砂浜の木陰で。
 樹はしゃがんで、バケツを覗き込んでいた。その目つきは真剣そのものであって。
 樹を取り囲む六角っ子たちも、体育座りで沈黙したまま、息をのんで樹を見守っている。
 五分くらい過ぎたころであろうか。
 しゅぽー。
 ゆっくりと樹は息を吐き出した。
「決めたのね。」
「どうするの?!樹ちゃん!」
 葵が目を輝かせて、樹に尋ねる。
 何度か瞬きをして、樹は手にしていた大きなハマグリを葵に差し出し。
「焼くのね。」
 と応じた。
「焼くんだね!面白い!じゃあ、七輪の準備だ!」
 樹を取り巻いていた少年たちが一斉に立ち上がる。
「ダビ、火を起こせ!」
「うぃ!」
「団扇、どこ置いた?」
「俺の鞄の下にあるよ。くすくす。」
 厳かな沈黙に満たされていた浜辺が、唐突に活気づく。初夏と呼ぶにはまだ少し早いような、晩春の午後。部活が早めに終わって、七輪とバケツを担いで浜辺に遊びに来ていた少年たちは、バケツいっぱいのハマグリを焼くために、走り出す。

「今日のハマグリ、大きいのが多いね。」
 ハマグリを砂出ししながら、佐伯が樹に爽やかに笑いかけた。一番おいしい食べ方を樹が決めてくれるのはいつものコト。そうしなくてはならない理由など何もないけども、気がついたらそうなっていた。もちろん樹が選んだ食べ方がおいしくなかったコトはない。
「そうなのね。今日のハマグリはすごく大きいのね。特にこれとか、本当にすごいのね。」
 真剣な表情で応じる樹。
「こんなハマグリには滅多にお目にかかれないのね。これだけすごいハマグリが生まれたのは、きっとすごいハマグリのお父さんと、すごいハマグリのお母さんがいたに違いないのね。そんでもって、そのすごいお父さん、お母さんにも、またきっと、すごいお父さんとお母さんがいたのね。たくさんの偶然が積み重なって、このハマグリが生まれたのね。そんなヤツに出会えた偶然に俺は感謝しているのね。」
 そして、しゅぽー!と勢いよく息を吐いた。
「そうだね。樹ちゃん。」
「そうなのね。だから、俺は、この運命的出会いに感謝するために、一番おいしそうな食べ方を一生懸命考えたのね。」
「うん。」
 佐伯は、樹の言葉に爽やかに相づちを打ちながら、ちょっとだけ心中穏やかではなかった。
 ハマグリのくせに、樹ちゃんに運命の出会いを感じさせるだなんて、生意気だぞ!
 いつだって樹はハマグリに真剣だ。相手が貝であるコトなんてお構いなく、真剣な眼差しを向け、全力で狙っていく。樹のターゲットになって、掘り出されずにすんだハマグリなど、いはしないだろう。それは佐伯もよくよく分かっている。
 だけど。だけど……!
 いやいや、落ち着け。落ち着け、虎次郎!相手はハマグリだぞ!いくら樹ちゃんがハマグリに夢中だと言ったって、俺よりハマグリの方が大事だとか、そんなコト、あるわけないじゃないか!
 佐伯は自らに一生懸命言い聞かす。
 そのとき。
「お〜い!七輪、用意できたぞ〜!!」
 浜辺にしつらえられた小さな四阿の方から、黒羽の声がした。
「行こうか。樹ちゃん。」
「行くのね。」
 ざらざらと、ハマグリをザルに上げて。
「ねぇ、樹ちゃん。」
 佐伯は少し考えながら、ちょっとだけ、言ってみた。
「俺も、樹ちゃんに会えた奇跡に、すごく感謝しているよ?」

 樹はといえば。
 佐伯を振り向きもせず、まっすぐにハマグリを見つめたまま。
「俺は別に、サエと会えたコトなんか、奇跡だとは思ってないのね。」
 とだけ言い残して、とことこと四阿に行ってしまい。

「……。」
 佐伯は一人、ぽつんと浜辺に立ちつくす。素足の下の砂が、妙に生ぬるかった。


 七輪は、ほどよい火加減で。
「バネさん、俺ね……。」
「あん?」

 六角っ子たちが、のんびり見守る中。
「その手は桑名の焼きハマグリ!って言ってみたい。」
「……あー?」

 樹が手際よく水を切りながら、ハマグリを金網に並べていく。
「だから、それが言えるシチュエーション作って……!」
「なんで俺がそんなコトしなきゃならねぇんだよ!!」

 焼けた金網から、じゅー!と心躍る響き。
「バネさん、優しいし……良いオトコだから……!」
「褒めれば何とかなると思ってるんだろうがっ……。」

 鈍い音とともに、黒羽の足が、天根の額を蹴り上げる。
「それこそ、その手は桑名の焼きハマグリってやつだぜ?ダビくんよ?」
「……!!!」

 ぱたぱたと首藤が団扇で風を送り、立ち上る煙。
「でも、バネさん!!これは千葉の焼きハマグリだよ!」
「剣太郎、相変わらず、ストレートなツッコミだな。くすくす。」

 そんな、のどかな時間が過ぎてゆく。
「サエ!ぼーっとすんな。皿!」
「……え?バネ、何?」

 仲間達のはしゃぎ合う姿を、少しぼんやり見守っていた佐伯は、唐突に黒羽に声を掛けられて、きょとんとする。
「何だよって、何だよ。お前は。ハマグリ焼けたから、お前の皿貸せって言ってるんだろうが。」
 いつの間にか、黒羽はトングを片手に七輪の前にしゃがみ込んでいる。静かになったなと思ったら、葵も天根も熱々のハマグリと格闘中なわけで。焼けたモノからどんどん食べて、どんどん焼く。そうじゃないと、ザルいっぱいのハマグリなんて食べきれない。もちろん、中にはアサリとかも混ざっているのだけれども。
 そして、七輪の上には一つ、ぱかりと、見事なまでに口を開けたハマグリ。

「あ、ああ。ごめん。ありがとう。」
 我ながら、何をもたもたしているんだろう、と思いつつ、紙皿を差し出せば。
「ほらよ。」
 長い腕が伸びて、コトリ、と大きなハマグリが皿に載る。

「あれ?」
 佐伯は思わず声を上げた。
「どした?」
「バネ、このハマグリさ、一番でかいやつじゃないの?」
「おう。」
 だとすれば、これはさっき、樹ちゃんが運命感じていた、大事なハマグリなわけで。
 そう言いかけて。
 樹が全く気にする様子もなく、次のハマグリを七輪に並べ始めているのに気付く。
「これ、サエのなんだろ?樹ちゃん。」
 トングを指先でくるりと回しながら、黒羽が尋ねれば。
「そうなのね。」
 佐伯の困惑など意に介する様子もなく、樹は淡々と七輪に並べたハマグリを見つめている。そして、申し訳ばかりに吹き抜ける浜風。
「早く食えよ。サエ。冷めちまうぜ?」
「あ、うん。悪い。」
 慌てて箸を取る佐伯に、顔も上げずに樹が言った。
「サエは焼き物が好きなのね。」
「え?うん。好きだけど。」
 佐伯の肯定に、樹は何も言わず、ただにこっと笑って。
「……もしかして、樹ちゃん、俺が焼き物好きだから、一番大きいヤツ、俺にくれたの?」
「そうなのね。」
 しゅぽー!と、樹の鼻息が、七輪の煙を吹き飛ばす。

 ぱくり。
 佐伯は、それ以上、何も言えなくて、とりあえずハマグリを頬張ってみた。潮の香りが喉の奥にまで漂ってくる。
「サエとかバネとかには、偶然とか奇跡とかは似合わないのね。どう転んでも、出くわす運命なのね。」
 そう独り言のように言いながら、樹は黒羽からもぎ取ったトングで、ハマグリを突き。
「もう一個、食べるのね。」
 佐伯の皿に、焼きたてのハマグリを、一つ、投げ込んだ。

 トング係の座を追われた黒羽の背後から、大柄な後輩が迫る。
「バネさん、見て!ハマグリップ……!」
「意味分からねぇんだよ!!」
 げしっ!
 ラケットのグリップに、頑張ってハマグリの殻をくくりつけた天根を、黒羽がどつきかけて。
「おっと!その手は桑名の焼きハマグリ……!」
 ひらりと避けた天根の額を。
「そうは問屋が卸さねぇんだよ!!」
 黒羽の長い足が直撃し。
「……!!」
 声もなくしゃがみ込む天根。その頭を、がしがしと掻き回しながら。
「修行して出直してきな!」
 楽しそうに笑う黒羽。
 そんな、あほな友人達を見ながら。

 佐伯は二つ目のハマグリを頬張って、意味もなくこみ上げてくる笑いに、なんだかやけに幸せな気分を味わっていた。






ブラウザの戻るでお戻り下さい。