河村さんの秘密。
「ねぇねぇ、河村先輩の家の家紋ってどんなの?」
いきなり試合中に袖を引っ張って、一年生が三年生に聞く台詞がそれか?
と。
彼が大石秀一郎でなかったならば、そう苛立ったに違いないのだが。
あいにく、彼は大石秀一郎だったので。
「ん?なんだい?タカさんがどうしたって?」
と問い返した。
時は関東大会緒戦、氷帝とのS3の試合まっただ中である。
「うん。河村先輩の家紋。どんなの?」
「……タカさんの家紋?知らないなぁ。どうして急にそんなことを?」
「え?だって、河村先輩いつも言ってるじゃん。」
その瞬間。
バーニング河村の力強いショットが炸裂した。
「おらおら!カモーンっ!!」
「ね?」
大石に同意を求める越前リョーマ。
リアクションに窮する彼の隣で、乾は口元を押さえ、視線を転じずにはいられなかった。
「さぁ、どうだろ。俺は見たことないなぁ。タカさんの家紋……。」
「えぇ?そうなの?つまんないっすね。」
一年生はあからさまに不満げな顔をしたが。すぐに機嫌を直す。
「河村先輩んちの家紋、かっこいいのかなぁ。」(←実は時代劇大好き。)
「さぁねぇ。」
「やっぱり印籠とかに描いてあるのかなぁ。」(←月曜は水戸黄門があるから機嫌がいい。)
「印籠は……持ってないんじゃないかなぁ。さすがに。」
「じゃあ、どこに描いてあるかな。ラケットとか?」(←親父が「サムライ」だったのは実はちょっと自慢。)
「いや、ラケットに家紋は描かないだろ。」
「でも河村先輩んち、寿司屋なんだから、どこかに家紋描かなきゃ。」(←実は親父が職人ってのも憧れる。)
「いや、そういう問題じゃないと思うんだけど。そうだなぁ、う〜ん、タカさんが使っている手ぬぐいには描いてある、かなぁ。」
「あ、手ぬぐいか。粋っすね。」(←風呂には手ぬぐいが浪漫だ、と信じている。)
乾は笑いをこらえるのに必死だった。
これだけ内容のない会話を淡々とこなせるあたり、ある意味、大石はすごい逸材だ、とその日、彼はノートに記している。
しばらくは打ち合いの音が響いていた。
河村が吼え、樺地が唸り。
試合は白熱する。
「ねぇねぇ、ぐれいとって、漢字でどう書くの?」
「へ?」
また、大石は袖を引っ張られて。
家紋の話が終わったかと思いきや、越前はまたとんでもないことを言い出す。
「河村先輩って、難しい言葉、たくさん知ってるっすよね。やっぱり寿司屋だからかなぁ。いいなぁ。寿司屋って。」
そのとき、乾と大石は揃って思い出していた。
試合と試合の間の時間帯、退屈している一年生たちを相手に、河村が「トイレ」の日本語版がいかにいろいろあるか、を話してやっている様子を。
「お手洗いとかは使うよね。他にもまず、雪隠だろ。それから御不浄ってのもあるし。花摘みとかね。」
地面に漢字を書いて説明してやると、一年生たちは目を輝かせて話に聞き入っていた。どう見ても一年生じゃないのも、あるいは青学じゃないのも、一緒に覗き込んでいたりしたのだが、その辺りを気にしないのも河村の河村たる所以で。
みんなが楽しんでくれたら、それでいい。
自分の試合が控えているのだから、もっと自分のために時間を使えばいいのに。
河村は人を喜ばせる素晴らしい料理人となるだろう。
乾と大石は遠い目をして、その光景を思い出していた。
「じゃあ、ばあにんぐってのはどう書くんすか?」
「……難しいから、中一にはまだ無理だよ。越前。」
大石が嘘を付くのは珍しい。
と、冷静に乾は考えた。
しかし、他に答えようがあるだろうか。
帰国子女を相手に通じないのなら、それはもう、英語ではなかった、ということで。
河村の立場を考えるなら、嘘を付くほかあるまい。
そう考える乾の横で。
手塚部長はさらに冷静に考えていた。
GREATは漢字で書けば「偉大な」か「卓越した」であろう。
BURNINGは「燃焼している」か「輝いている」だろうか。
確かに中一で、しかも帰国子女の越前には難しい漢字かも知れないが、せっかく興味を持っているのだから、教えてやったら良いのではないか。
だが、手塚部長はそう考えただけで、試合に目を戻すとすぐ、そんな思いつきは忘れてしまった。
激しい音のラリーがしばらく続いた後。
大石は越前の肩に、ぽん、と手を置いて、優しい声で諭した。
「いいかい?越前。今の話、決してタカさんに聞いちゃだめだよ?」
「なんでっすか?」
「……タカさんにも、秘密があるんだ。いろいろね……。」
そのオトナの世界めいた言葉に、越前は悟った。
河村先輩はきっと、幕府の指示で秘密の仕事をしているに違いない!(←レンタルビデオ屋で大江戸捜査網や必殺仕事人シリーズを借りまくっている。)
「分かったっす。絶対、言わないっすよ。」
そして彼は憧れの河村の試合に目を戻した。
心なしか、今日の河村先輩は輝いていた。
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