手紙。

 いつものように夕方の静かな部室で、大石秀一郎は部誌を書いていた。
 持ち回りで書けばいいのだ、と、みんな言う。
 確かにそうかも知れない。その方が面白い部誌になるかもしれない。
 でも、今年の部誌は、来年の部活の参考になるものだから、きっちりとポイントを押さえて残したかった。そして自分が一番、こういう事務作業には向いているのだ、という自負がある。たとえテニスでは他の連中に敵わなくても、これだけは自分が一番適任だと思う。
 うぬぼれかな。
 なんて、思わないわけでもない。
 自分の居場所が欲しいだけなのかなぁ。
 なんて、不安に思う日もある。
 だが、これだけは譲れなかった。

 部室には誰もいない。
 静かなこの時間が好きで。

 そこに、控えめなノックの音。

「鍵は開いてますよ。どうぞ。」

 声を掛ければ、おそるおそるといった体で顔を出す少年がいた。
 見覚えがあるような気はするが、誰だったかまでは思い出せない。

「兄はまだいますか?」

 扉から半身をのぞかせて問う少年の言葉に、大石は口元をほころばせる。
 ああ、そうか、海堂の弟だ。去年の文化祭に連れてきていた。あの海堂が、小さな少年の手を引いて校内を歩いている姿、普段見せない表情は微笑ましくて。ただ、部活の先輩たちが見ていることに気付くと、照れ隠しにいつも以上の仏頂面を見せた。

「海堂はまだ居残り練習しているみたいだね。呼んでこようか?」
「いえ、待ってます。」

 十一歳、だったかな。
 礼儀正しく大人びた言葉遣いは、妙にかしこまって背伸びした印象を与える。
 可愛いな。
 そう思って、苦笑い。自分はいつのまに大人の側に立ってしまったのだろう。
 そしてふと、昔、自分に「お行儀が良いわね。」と言ってくれた人たちは、今の自分と同じ気持ちで微笑んでいたんだろうか、と思った。

「今日は兄の誕生日なんです。だから、帰りに一緒にケーキを買う約束で。」
「あれ?今、学校の帰りなの?」
「いえ、ボクは塾があったから。」

 外はもう、だいぶ暗い。
 海堂も弟と約束しているのなら、そろそろ戻ってくるだろう。
 と、言いかけた途端に、規則正しい足音がして。

「お疲れっす。」

 待ち人がやってきた。

「あ、葉末、お前、正門で待ってろって!」
「だって遅いんだもん。暗くなるし。」

 部活では見せない、兄の顔をした海堂。
 そう、それを見せたくなかったから、正門で待ち合わせしてたんだな。
 いくら大人びていても、兄のそんな気持ちを弟は知るはずもなく。いくら兄でも、やっぱり中学生は中学生の子どもらしい照れがあって。
 大石の方を気にかけながら、また仏頂面で着替えを始める海堂の背中に、かける言葉を探す。

「誕生日だったんだな、海堂。おめでとう。知ってたらみんなで祝ったのに。」
「別に。年を食っただけっすから。」

 助け船を出してやるつもりが、お気に召さなかったらしい。大石は肩をすくめた。
 そして、部誌に向き直り、日付の横に一言書き加える。

5月11日(海堂の誕生日!)

 桃城や海堂が部長、副部長あたりになって、来年の今ごろ、練習日程を立てる参考にこの部誌を開くとき。
 ああ、この日は海堂の誕生日か、って、みんなで祝えるといいな。
 その場に自分はいないけど。
 桃城なんかは気が利くから、当日まで気付かないふりをして、なんか企んだりするのかもしれない。そんなのもきっと楽しい。

 その日まで、誰一人、怪我もせず、退部もせず、元気でいてくれるかな。
 自分たちのいない部活、なんてちょっと想像ができないけど、必ず、そんな日が来る。

 来年の君たちへ。
 これは、不愛想だけど心を込めた手紙。
 去りゆく者から、残る者への。

 どうか、君たちの「今日」が輝いているように。

「お先っす。」
「さようなら〜。」

 海堂兄弟が、戸口でぺこりと一礼して、帰ってゆく。
 それに小さく手を振って、大石秀一郎は部誌を閉じた。
 窓の外はすっかり夜の闇に包まれていた。


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