事情(姫乃&エージ)
うろこ物語第七話。




「出たな!女子高生め!」
 エージが笑いながらバットを構える。
「おはよう。エージくん!」
 うたかた荘の朝は慌しい。
 もちろん、慌しいのは姫乃ばかりだけど。
 明神が新聞を眺めている横を、ばたばたと駆け抜ける姫乃。
「おはよう。ヒメノン。」
「おはよう。明神さん!」
 朝ごはんには食パンを一枚。それから牛乳。
「そんなとこでバット振り回してたら危ないよ。」
 しゃべるのと食べるのと。
 姫乃のとろさでもそれくらいは同時にできる。
「危ないって何が。」
 振り返りもせずにエージ。
 どうせ壁にぶつかるものでもない。
 姫乃など触れることもできない。
「だって昨日ガクさんが。」
「ガクが?」
 もぐもぐ、とパンをほおばって、飲み込んで。
「何だってんだよ。」
 牛乳をこくりと飲んで、姫乃はぷはっと息を吐く。
「その辺にコンタクトレンズ落としたって。」
「何っ?!」
 生きていたときの癖というのは、反射的に出るもので。
 慌ててその場から飛びのいてから、エージは自分が死んでいることを思い出す。
「っていうか、ガク、コンタクトなんて入れてないだろ。」
「生きているうちに一度コンタクト落としてみたかったんだって。事情が事情だしさ。それくらい、付き合ってあげようよ。」
 当たり前のように姫乃がそう無責任な提案をして。
「わ!遅刻!」
 かばんを抱えて走り出す。
 そんな姫乃の背を見送りながら。
 いったい、事情が事情ってなんだ、と。
 なんでそんな芝居に付き合ってやらなきゃいかんのだ、と。
 というか、コンタクトを落としてみたかったってどういうことだ、と。
 目から鱗が落ちるネタはどこへ行ったんだ、と。
 いろいろ、突っ込みたい気もしたが、突っ込んでも仕方がない気もする。
 エージはそんな雑念を振り払い、今朝も元気に素振りに励むことに決めた。









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