翼が欲しいと思った。
昔、そんな歌を聴いたことがあるような気がする。
クサカベさんなら知っているかもしれないが。
いや、案外俺とクサカベさんは、生まれた年はそれほど違わないのかもしれない。
あの人、何歳なんだろう。
分からない。
いずれ俺より長く生きていることだけは確かだ。
ふぅ、とヒリューは大きく息を吐いた。
脱線した。
翼を得る方法を考えていたはずなのに。
ゆっくりと息を吸う。
翼を得て、羽ばたいて、飛ぶ。
単純なようで難しい行程を、なるべく具体的に想像する。
イメージできなければ、実行できない。
それがPSIというものだ。
「朝河さん?」
廃墟の片隅の誰もいない部屋で、目を伏せていたヒリューは、急に聞こえたタツオの声に少し驚いた。
「どうした?」
「いえ、寝ているのかと思ったんです。」
風邪をひいては困るから、と言い訳のようにタツオは言葉を続ける。
禁人種になっても、あのころと同じように、タツオは風邪をひくのだろうか。
それとももう彼は風邪をひくことなどないのだろうか。
どちらがいいかなどという問題ではないと分かっている。
だが、いずれタツオは……
そんな柄でもない後ろ向きな思考に陥りかけて、ヒリューは小さく笑った。
雑念を振り払うように、敢えて簡単なことのように
「羽ばたいて飛ぶのをイメージしてただけだ。」
そう言い切れば
「羽ばたいて飛ぶ?」
そのまま反芻して、ああ、とタツオは頷いた。
「邪魔しちゃってすみません。」
「いや、いい。」
何もない廃墟は声がやけに響く。
「正直に言って、行き詰まっていたところだったからな。」
かがむようにヒリューの顔をのぞき込んでいたタツオが
「隣に座ってもいいですか。」
問いかけながら横に移動する。
小石を払ってタツオの座る場所を用意してやると、彼は少しだけはにかんだように微笑んだ。
以前のタツオなら、冷たい地面になど座りたがらなかっただろう。
だがここには柔らかいソファも、清潔な椅子もない。
それでも、ここで生きていかねばならない。
そしてタツオはここまで生きてきた。
それを、タツオが強くなった証だと思えるほどには、ヒリューも強くはなかった。
「羽ばたく龍の姿を想像すればいいんでしょうか。」
「そうだな。」
タツオが目を伏せる。
「小さいころ、見たアニメの龍とかでもいいのかなあ。」
独り言のようなタツオの言葉。
それでも
「いいんじゃないか。」
ヒリューは相づちを打つ。
「じゃあ、日本昔話の龍とかでも?」
笑うようにタツオは呟いて、それからゆっくりと目を開く。
「オープニングのか?」
「はい。」
確かに一緒に見た記憶がある。
アニメのオープニングだというのに、いきなり子守歌だった、あれだ。
開始早々、寝かしつけに来るとは、アニメを見せる気がないのか!と思ったのをよく覚えている。
実際、タツオが何度も寝てしまったのも、覚えている。
瞬殺だった。
あれはすごかった。
まあ、そんなことはどうでもいいとして。
「……坊やよい子だ、っていうあれだな。」
「はい。」
さすがにタツオも、もうあんな子守歌くらいでは、眠りはしないだろうけれど。
「緑色の……上に子供が乗っている龍だよな。」
「はい。」
順を追って、少しずつ思い出す。
緑色の龍が飛んでいて。
そう、確かにあの龍は飛んでいた。
安定した動きで、ぶれることもなく、子供を乗せたままで。
あれは案外、理想的な飛び方だったのかもしれない。
「……ずいぶん長い龍だったよな。」
「そうでしたね。」
思い出す。
順を追って、少しずつ、少しずつ思い出す。
しかし。
「……。」
「……。」
少しずつ。
少しずつ。
「……。」
「……。」
どこまで思い出したところで。
「……羽、ねえのな、あの龍。」
「羽ばたいてませんね、あの龍。」
二人は気づいてしまった。
飛ぶのに羽っていらないのかもしれない。
羽ばたかなくても飛べるのかもしれない。
「……他をあたりましょうか。」
「そうだな。」
タツオが目を伏せる。
ヒリューも目を伏せる。
そして、気づく。
ああ、そうか。
俺は、上にタツオを乗せたら、案外飛べるかもしれない。
あの緑の龍にだって、頭はあった。
頭があれば、飛べるはずだ。
足りないのは翼じゃない。
頭だ。
ヒリューは口には出さなかったが、大発見に結構満足した。
それはそうだ。
必要なのは翼より頭。
頭がなきゃ飛べるはずがない。
ミラクルドラゴンは二人で一人。
ああ、何だ。
当たり前のことじゃないか。
翌日、ミラクルドラゴンがあっさり飛べるようになる理由を、タツオは知らない。
それはヒリューだけが知っていればいいことである。