夜は死者たちの時間である。
陰魄ほどではないにしても、陽魂たちも夜の方が過ごしやすい。
夜が更けるほど目が冴えてくる。
散歩にでも行こうか。
薄暗いうたかた荘の廊下に出れば、ひたひたと誰かの歩む気配に気づく。
目を凝らすまでもない。
陽魂は闇に目が利く。
目を擦りながら歩いているのはアズミ。
「姫乃、寝ちゃったの。」
ガクを見上げて訴える。
「ヒメノンは明日も学校だからな。」
「うん。」
アズミは決して物分りの悪い子供ではない。
むしろ、かわいそうに思えるほどに物分りがいい。
もっとわがままを言ってもいいはずの年齢だと、ガクは思う。
「寝ないのか。」
「眠れないんだもん。」
陽魂だから、それは仕方がないこと。
だが、こんな小さな子供が一人きりで眠れない夜を過ごすなど、あまりに不憫で。
「散歩に行くか。」
「うん。」
抱え上げる。
この小さい子供を抱いてやれるのは、ほんの数名しかいないのだ。
「何かお話して!」
抱かさったまま、アズミがせがむ。
日付が変わったのはずいぶん前のこと。
うたかた荘の前の道は、人の気配すらない。
「お話か。」
「うん!」
眠れないとはいえ、やはり眠いのだろう。
アズミはガクにべったりと寄りかかったまま、大人しく腕の中に収まっている。
「では九九でも唱えてやろう。」
エージがいたら、それはお話じゃねぇ!とまっすぐな突っ込みを入れたことだろう。
だが、あいにく、エージはいなかった。
「いんいちがいち、いんにがに、いんさんがさん……」
流れるようにガクが九九を唱えると、その不思議な響きにアズミはくすくすと笑う。
お話をせがんで、九九を聞かされるのは、今日がはじめてではない。
だが、何度聞いても面白いらしい。
「さざんがく、さんしじゅうに、さんごじゅうご……」
気が付くとアズミは目を閉じている。
「ごごにじゅうご、ごろくさんじゅう、ごしちさんじゅうご……」
すやすやと寝息が聞こえ出して。
「しちしちしじゅうく、しちはごじゅうろく、しちくろくじゅうさん……」
子守唄のように、ガクは唱え続ける。
願わくばこの子の夢が、温かいものであるように、と。
エージがいたら、九九聞きながら寝たら悪夢を見るだろ!とまっすぐな突っ込みを入れたことだろう。
だが、あいにく、エージはいなかった。
そして今日も、ガクは数学で、あるいは算数で愛を語る。
よかれ悪かれ、ガクは愛の人である。