ツキタケが憮然としているのは、いつものことである。
いや、正確に言えば、ツキタケのあの表情は、普段の顔つきなのであって、格別憮然としているわけではない。
愛想の悪い子ではないが、いつでもどこか気負ったような雰囲気があるという、ただそれだけのことである。
だが、今日に限ってはそうではない。
「ツキタケ。」
何と言ってやっていいのか、分からないまま、風呂掃除を終えたばかりの明神が声をかける。
リビングの隅に膝を抱えて座るツキタケは、本当に憮然としていた。
いや、正確に言えば、彼一流のプライドで、懸命に苛立ちと戦っていたと表現すべきであろう。
「何すか、ダンナ。」
問い返すツキタケは精一杯平静を装った声音。
彼の視線の先では、アズミを膝に乗せたガクが、糸電話をこしらえてやっているところだった。
ツキタケには、自分の胸中にわきおこる苛立ちの種が何であるかくらい、分かっている。
こんなことで苛立つなんて、大人気ないということだと、十分理解している。
「いや、その、何だ。いい天気だな!」
掃除中にアズミに糸電話をせがまれて、ガクに作ってもらえと言ったのは、明神であった。
だから、今回の件に関して、責任を感じないわけではない。
だが、何も、糸と紙コップと針とを取り出して、一から作ってやらなくてもいいじゃないか、と思う。
完成した糸電話を出してやればいい。
それなのに、ガクはアズミを膝に乗せ、絵に描いたような不器用さで糸電話を作ってやっている。
「外は雨っすよ。」
冷静なツキタケ。
明神は頬をかいた。
「えっと、そうだな、テレビでも見るか?」
「別に見たいものとか、ないっす。」
取り付く島もないツキタケに、明神は苦笑した。
もしかしたら、オッサンも俺の愛想の悪さに、こんな気分でいたのかな。
なんて、考えてみたりもする。
アズミのように膝の上に抱え上げて、頭の一つも撫でてやりたいが、そんなことをしたら間違いなくツキタケは怒るだろう。
少なくとも自分が彼の立場なら、きっと怒ったはずだ。
「なぁ、ツキタケ。」
まっすぐにガクを見ているツキタケに、かけてやるべき言葉が見当たらない。
だが、それでも名を呼んでしまうのは、ツキタケの気持ちが痛いほど分かるからで。
「……あ。」
小さく声を出し、しかし、すぐに口を閉ざすツキタケ。
食い入るようにガクの作業を見守る。
「あのな。」
「……何すか、ダンナ。」
「そんなに気になるなら、手伝ってやったらどうだ?」
ツキタケが眉を寄せる。
そして、大げさに息を吐く。
「ダンナだったら、手伝いに行きます?」
「……そうだなぁ。」
アズミが明神に糸電話をせがんだのが、今日の三時過ぎ。
しかし、窓の外、曇天の空は、今にも暮れようとしている。
「アニキは凝り性っすから。」
「あれは凝り性って言うのか?」
紙コップに糸を通すために、針に糸を通そうとして、戦い続けて早二時間。
ガクは、延々、針穴と戦い続けている。
紙コップに落書きをしていたアズミは、それにもすっかり飽きてしまって、ガクの膝の上ですやすやと眠っていて。
俺がやりましょうか?アニキ。
そう言いたい気持ちをぐっと堪えて、ツキタケは、愛の人であるアニキの戦いを、黙って見守り続ける。
ガクは愛のために日々戦い続ける男である。
愛を与えるための戦いから、彼は決して逃げ出したりはしない。
愛する者を喜ばせるために。
それがたとえ糸電話であっても、ガクは全力でそれに挑む。
晩春の雨が窓を叩く。
糸電話の片一方はアズミのために。
そして、もう片一方はもちろんツキタケのために。