リビングで姫乃が悩んでいる。
「う〜む。」
新入生が学校に提出する書類というのは、意外とたくさんあって。
たいがいの生徒は親に書いてもらうのだろうけれども、姫乃の場合はそうはいかない。
自力で書くしかない。
「保護者のハンコって明神さんに頼んでいいかなぁ。」
「いいんじゃねぇの?」
たまたまリビングに居合わせてしまったばっかりに、エージは相談役をおおせつかっている。
大した助言はできはしないけれど、こういうものは、誰かが一言「いいんじゃねぇの?」と相槌を打ってくれるだけで、ずいぶん気持ちが軽くなるのだとエージは知っていた。
それくらいなら俺でもできるしな。
姿勢正しく書類を埋めてゆく姫乃の横に立って。
「緊急時の連絡先って、管理人室の電話番号でいいのかな。」
「いいんじゃねぇの?」
とりあえずのんきな相槌を打つ。
「う〜む。」
眉を寄せて眉間にしわを寄せる姫乃。
次の項目には。
* あなたの住まいを以下から選びなさい。
「その他」を選んだ場合は具体的に書きなさい。
自宅 / 寮 / 一人暮らし / その他( )
うたかた荘はどれだろう。
自宅ではない。
いわゆる寮でもないだろう。
ってことは、アパートの部屋を借りて住んでいるのだし、一人暮らし、なんだろうな。たぶん。
しばらく首をひねっていた姫乃が、真顔でエージを振り返った。
「一人暮らしっての選んだら、明神さん悲しむかなぁ。」
思わず笑ってしまう。
うたかた荘では一人じゃない。
それはエージだってよく知っている。
「一人じゃないよね。」
「そうだな。」
話がこうなってしまっては、一人暮らしでもいいんじゃねぇの、とは言いづらい。
こっそり出すのならともかく「保護者」のハンコがいる書類なのだ。
二人とも「保護者」が悲しむ顔は見たくない。
「その他、かなぁ。」
消去法でいくとそれしかない。
だが、「その他」を選んだ場合は具体的に説明しなくてはいけないわけで。
姫乃はシャーペンでぐいっと「その他」に○を付けた。
「何て説明したらいいんだろ。」
また「むー」と悩む姫乃。
下宿、とかかなぁ。でもちょっと違うよな。
上手い表現が見つからない。
エージも首をひねった。
「ま、これでいっか。」
エージにも妙案がないのを見て取って、姫乃はシャーペンを握る。
その他( みんな暮らし )
「な、何だ。その『みんな暮らし』ってのは!!」
うっかり素で突っ込んだエージに、姫乃ははつらつとした笑顔で言い切った。
「『一人暮らし』の複数形だよ!」
四月も半ばを過ぎた夜のことであった。