YES(明神&姫乃)





 明神の機嫌がいい。
 廊下の窓を拭きながら、鼻歌。
 案内屋明神の凛とした姿からは想像も付かない、どこか情けなささえ漂うその背中に、学校から帰ってきた姫乃は思わず吹き出しそうになった。
「ただいま!」
「おーう。おかえりなさい。」
 振り返って、にこりとした瞬間には、鼻歌は止まったのだけれども。
 窓に向き直ると、また鼻歌が始まる。
「手伝いましょうか?」
「んー?気にしない。気にしない。雑用は管理人さんに任せなさい。窓掃除も家賃のうち。」
 家賃のためなら結構ガンバれるらしい明神の言い草に、姫乃は笑ってしまう。決して器用には見えないが、機嫌よく鼻歌なんか歌っているあたりこういう仕事は嫌ではないらしい。
「今日は暇だから、手伝いますよ。」
 部屋にかばんを置いて戻ってきた姫乃は、雑巾片手に袖をまり上げる。
「よっし!拭くぞ!」
「悪いね。ありがとう。」
 隣の窓を拭き始めた姫乃。明神は少し照れくさそうに笑うと、サングラスをずりあげ、自分も袖をまくりなおした。
 そしてまた鼻歌が始まる。
 ところどころ歌詞が入るあたり、鼻歌を歌っているというよりも、うろ覚えの歌詞をハミングでごまかしながら歌っているといった方が精確かもしれない。
 聞いたことある曲だな。
 雑巾をゆすぎながら、姫乃は首をかしげた。
 えっと。チャゲアスだっけ……?
 どうもサビの部分だけは微妙に歌詞を覚えているらしい。サビに戻るたびに、ハミングに微妙な日本語が混じる。
「金返せ〜♪千円〜♪」
 ……どんなチャゲアス?
 姫乃の戸惑いに気づいたのか、雑巾を洗うために椅子から降りた明神が、にっと笑う。
「よくオッサンが歌ってたんだよ。」
 そっか。師匠だった人が歌ってたのを、聞いて覚えたからうろ覚えなのかな。
 好意的にそう解釈したとしても、どう考えても歌詞が間違っている。
「何て曲だったかなぁ。」
「たぶん、SAY YESって曲だと思います。」
「おお!ヒメノンは物知りだな!」
 素直に褒めてくれる明神がまぶしくて、姫乃は目を伏せる。
「『千円』って歌っているトコ、『SAY YES』じゃないですか?」
 ちょっとだけ訂正してみると。
「金返せ〜♪SAY YES〜♪」
 律儀に歌いなおす明神。
 いやいやいやいや。だから、その前のトコも「金返せ」じゃないですし!
 そうツッコミかけたが、正しい歌詞も思い出せなくて。
 ってか、「千円返せ」だの「返すと言え」だの。なんていうか。
 なんつう貧乏くさい替え歌よ。それは。
 姫乃は眉間にしわを寄せて、しばらく考えた。
 明神はおっとりと窓拭きに戻っている。また始まる鼻歌。
「ね。明神さん。」
「んー?」
「その人も貧乏だった?!」
「YES!」
 笑いを含んだ声で答えるのは、貧乏を恥じる気がないからで。
 コートもサングラスも名前も仕事も貧乏暮らしも、全部全部受け継いで。
「じゃ、仲間だ!」
 にこりと笑う姫乃を軽く振り返り、明神もにやと笑う。
「いやいや、ヒメノンは俺たちほどは貧乏じゃないだろ。」
 そして明神冬悟の調子はずれな鼻歌がまた始まる。








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