うたかた荘、と書かれた古くさい看板を前に、十味が苦笑する。
「お前さんもずいぶん思い切った買い物をしたな。」
見上げれば目の前にはボロアパートが一軒。
ボロと言っても、建物をまるごと買い取ったというのだから、決して安い買い物ではないはずだ。
「なに。冬悟の帰る家だ。有り金全部はたいても惜しくはないさ。」
アパートの上には鮮やかな青空。
「これで俺に何かあっても、冬悟は大丈夫だろ。」
そして大口を開けて豪快に笑う。
「縁起でもないことを言うな。」
眉を寄せる十味に、明神は胸を張った。
「俺の目が黒いうちはあいつを死なせたりはしないからな。それが預かったもんの責任ってヤツだ。」
「だからといって、お前さんがあいつのせいで。」
言いかけの言葉を飲み込んで十味は黙った。
むやみに験を担ぐつもりはないが、家を買っためでたい日にわざわざ不吉な話をすることもあるまい。
「俺は嬉しいんだ。」
空は高く青く澄んで。
「あいつになら、全部くれてやっても惜しくない。そんなヤツに会えたのが嬉しいんだ。」
あの狂犬を。
あの手のつけられない不良を。
ここまで愛してくれる者がいるのだ。
何も心配などいらん。
全て、杞憂。
そうに違いない。
十味はふぅっと息を吐いて、ボロアパートに視線を移す。
「目に入れても痛くないってヤツだろうな。」
ちらりと明神に目を戻せば、明神はまた大口を開けて笑っていた。
「ま、昨日、物は試しだっていうんで、目ん中、入れてみようとしたら、暴れられて失敗したけどな!」
まっすぐに空を見上げる明神に。
「……本当に試したのか。」
うっかり素で問い返してしまい。
「だって冬悟が信じてくれないから!」
いつだってまっすぐな明神の生き様に、十味は奇妙な敗北感を感じながら、静かに空を見上げることにした。